創世記27章 生きているのがいやになりました

創27:46「リベカはイサクに言った。「私はヘテ人の娘たちのことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブが、この地の娘たちで、このようなヘテ人の娘たちのうちから妻をめとったなら、私は何のために生きることになるのでしょう」

ここではなぜリベカがヤコブのために骨をおったのかが書かれています。最大の原因はエサウが40歳のときめとった2人のヘテ人のことです(26:34)。この2人は「イサクとリベカにとって悩みの種となった」と聖書にあります(26:35)。「悩みの種」のヘブル語は「mora(モラー)」は聖書の中で唯一ここだけに使われている語で、「悲痛」や「苦味」とも訳せます。そしていま、リベカはエサウヤコブを殺そうとしていることを知り(42)、ヤコブを逃すときになって本心を吐露しています。それは「ヘテ人の娘たちのことで、生きているのがいやになりました(46)」というものです。何があったかは書かれていませんが、とんでもない無理難題を要求されたのか、あるいはまったく家事のことをしなかったのかもしれません。とにかくあの利発で働き者のリベカが生きることが嫌になるほどのことが起きたのです。このことを教訓として、ヤコブには正当な血筋から妻をめとってほしいと願うようになったのだと思います。ヤコブまでヘテ(ヒッタイト)の妻をもらうなら、リベカの悩みが2倍に膨れ上がり、彼女の人生は暗く閉ざされたものになってしまいます。リベカの悲痛な願いがヤコブに祝福を引き寄せたのです。