ヨブ記17章 私の望みはいったいどこにあるのか

ヨブ17:15「私の望みはいったいどこにあるのか。だれが、私の望みを見つけよう」

正しく生きてきたヨブがここまで絶望するのは、全てを失ったからです。ヨブが妻に言った「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか(2:10)」という確信はどこへ行ったのでしょう。最初は強く信仰を保っていましたが、次第に弱きになるヨブの姿があります。主を恐れることがヨブの確信でした。神を恐れかしこみ、礼拝をささげることがヨブと神との関係でした。神はヨブを喜ばれ、サタンに対しては「彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだ(1:8)」と自慢しています。いま、サタンの言ったヨブを祝福したから、ヨブは神を恐れ、かしこまっているのだ(1:10)、という言葉が厳しくヨブに突き刺さっています。ヨブは神をのろうことはしませんでしたが、それ以外の全てに対して絶望し始めています。まず自分の生まれた日をのろい始めました(3:1)。そして自分の非力なことを嘆いています(6:11-12)。さらに死を望むようになっています(7:15)。主がヨブに対して目を留められていないと感じ、もうヨブに興味がないと思い始めています。もし、本当に神がヨブを見捨てたのであれば、確かにヨブには望みはありません。しかし、本当にそうなのでしょうか。