出エジプト6章 主という名では

出6:3「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神として現われたが、主という名では、わたしを彼らに知らせなかった」

主がホレブの山でモーセと出会ったときには、「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である(3:6)」と名乗っています。そのため、アブラハム、イサク、ヤコブが信じた神だということはわかりましたが、神ご自身の名前はわかりませんでした。そのためモーセは神をなんと呼べばいいのかを尋ねます(3:13)。そのときに神が言われたのが「わたしはある(3:14)」という名前です。これはヘブル語「hayah asher hayah(ハヤ アシャ ハヤ)」と発音され、「主」のヘブル語「yehova(エホバ)」のオリジナルはこの「わたしはある」という発音に関係しているのではないかと言われています。それは、モーセに名乗った名前「わたしはある(3:14)」と「わたしは主である(6:2)」と言われた「主」が違っていることは考えにくいからです。創世記はモーセが書いたとされているので、創世記の最初から「主」ということばが登場していますが、実際に人が「主」の名を使い始めたのは、アダムの3番目の子セツが生まれ、その子のエノシュの時代だと書かれています(創4:26)。それゆえに、ヘブル人のあいだではよく使われていた「主」は、400年もたってモーセの時代には使われなくなっていたのではないでしょうか。