レビ記4章 あやまって罪を犯し

レビ4:27「また、もし一般の人々のひとりが、主がするなと命じたことの一つでも行ない、あやまって罪を犯し、後で咎を覚える場合」

あやまって罪を犯すことはあり得ますが、そのときに気が付かないこともあるでしょう。それでも、その行為に対し振り返ってみて間違っていると認識できるなら、その人は神に対して真摯な態度だと思います。ヨブは「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない(ヨブ1:5)」とまだ起きてもいない罪のためにささげものをしていました。自分は人を傷つけていないと思っていても、人の感情は様々ですから、あるいは誰かの心を傷つけてしまっているかもしれません。それは、誰にも分からないことです。しかし、後になって心に何かしら後ろめたいものを感じ、ひょっとしたら相手を傷つけたかもしれないと思ったならば、神の前にそのことを注ぎ出し罪の赦しを乞うことができます。レビ記に書かれているのも、そのような罪への後悔のことだと思います。レビ記までにはまだ多くの律法が書かれていませんが、民数記申命記と進むうちに613の律法が出てきます。この中には248の「このことをしなさい」というものと、365の「これはしてはならない」という戒めの律法とに分かれています。民が罪に感じるのはこの「してはならない」という律法に触れたときだと思います。