レビ記21章 彼らは聖でなければならない

レビ21:6「彼らは自分の神に対して聖でなければならない。また自分の神の御名を汚してはならない。彼らは、主への火によるささげ物、彼らの神のパンをささげるからである。彼らは聖でなければならない」

どういう状態を「聖」だとされているのでしょうか。それは、「汚れている」の反対を考えれば、なんとなく見えてくるでしょう。この章だけでも、葬式に参加する者(1)、頭、ひげを剃る者(5)、処女以外の女をめとること(7)、娘が淫行を犯すこと(9)、大祭司の装束をよごすこと(10)など、多くのことが書かれこれらを破るならもはや「聖」ではないのです。レビ記の中だけでも、多くの汚しことが書かれており、祭司でいるのも簡単ではありません。しかも、アロンの子たちには選択権はなく、レビ族に生まれたなら否応なしに祭司の仕事につかなければならないのです。現代なら職業選択の自由はあるでしょうが、父が医者なら子も医者、父が教師なら子も教師などと子どもが同じ道を歩むことも珍しくありません。天皇家などは、代々継がれてきているので、国民が投票で決めるアメリカの大統領とは意味が違ってきます。聖書の中の王権も代々引き継がれてきましたが、ダビデ、ソロモンと黄金期を迎えた後は、衰退の一歩をたどっています。たとえ、祭司の子であっても、アロンの子ナダブやアビフ(出6:23)、サムエルの時代のエリの息子ホフニとピネハス(1サム2:12)は「聖」であることを拒んでいます。