申命記11章 みわざのすべてをその目で見たのは

申11:7「これら主がなされた偉大なみわざのすべてをその目で見たのは、あなたがたである」

モーセは代表的なみわざとして、葦の海が別れたこと(4)と地が割れて不敬虔者を飲み込んだこと(6)をあげています。もちろん、火の柱、雲の柱は常に民の前にあり(出13:22)、マナは毎日のように降り続き(出16:15)、約束の地に入ってその地の産物を食べるまで止むことはありませんでした(ヨシュ5:12)。マサでは水がないときでも水が出て(出17:7)、蛇に噛まれたときは、青銅の蛇を仰ぎ見ると死にませんでした(民21:9)。これら多くのみわざを見てもなお、神に従わないのはイスラエルの民が「うなじのこわい」民だからだと主に言われています(出32:9)。新約ではパウロが「神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ(ロマ1:20)」ているとローマの手紙の中に書いており、決して奇跡を目撃することだけが、神を知る手段ではないことを示唆しています。神の造られた被造物の中に多くのヒントが隠されており、人はその創造物の複雑さに目をみはり、驚き、不思議がるのです。モーセの時代にはまだ神とイスラエルの民の距離は近く、目に見える形で多くの奇跡がなされてきました。ある意味、その時代の人々はほかの時代では味わえない神のわざをみられた幸運な人々なのかもしれません。