申命記15章 心に未練を持ってはならない

申15:10「必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる」

ヘブル語には「tzedakah(ツェダカ)」という単語があり、「慈善」の意味で、「行なって当然」というニュアンスで使われたりします。それは申命記などのトーラーの中にも書かれ、ユダヤ人の口伝律法「タムルード」にも書かれている内容です。ユダヤ人はがめついイメージがありますが、決してケチなわけではなく与える心をもった民族です。現在のイスラエルでは、仮庵の祭りやプリムの祭りなどで、イスラエルの至る所で寄付を募る募金箱が設置され、少しでも豊かな人たちは貧しい人たちへ寄付しています。主はお金には興味がありません。いくら稼いだかで、死後の扱いが変わるわけでもありません。イエス様のたとえ話に、ある金持ちが豊作の作物を倉にしまって飲み食いして楽しもうとしたとき、その夜に神にたましいを取られ、蓄えたものはすべて無意味になるというものがあります(ルカ12:15-20)。また、イエス様に永遠のいのちを得るには何をすれば良いかと尋ねた青年がいました。その青年に持ち物をすべて売り払って貧しい人に与えなさい、と言われ青年は悲しんで去っていくという話があります(マタ19:16-22)。もし、物惜しみをして兄弟が訴えたなら、その訴えられた人は有罪となる(9)と書かれています。与えないことは罪にも定められる、大きな過ちなのです。