詩篇58篇 人の子らを公正にさばくのか

詩58:1「力ある者よ。ほんとうに、おまえたちは義を語り、人の子らを公正にさばくのか」

判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉が日本にはありますが、判断するものが客観的な視点を欠き、間違って自分のひいきする者に有利な判断をすることです。「力ある者(1)」のヘブル語には「’el(エル)」が使われており、「エルシャダイ」や「エルロイ」などに使われている「神」や「権力者」と訳せる語です。人の上に立つものが公正な判断に欠けることはよくあることですが、ダビデはそれを嫌っており、ダビデの判断には公正さがあったのだと思われます。ダビデは自分の家来がアモン人に髭を剃られたとき、はえるまでそこに留まるように言っています(2サム10:4-5)。また、アマレク人たちに妻や子どもがさらわれたとき、追撃に疲れた200人の部下にも分配物を忘れませんでした(1サム30:24)。それ以外に戦争時に最前線で戦った兵士には一時帰還が認められ、家に帰って過ごすことも認められていました(2サム11:9-11)。ダビデには部下を思いやる心があり、自分でさばかない努力をしていました。詩篇では多くの「悪者」という単語がダビデの詩の中に登場しますが、人を思いやらない自分勝手で非情な者たちをとても嫌っていたのがわかります。嫌っても、自分でなんとかせず、主にさばきを委ねるのがダビデの信仰です。