詩篇35篇 休みなく私を中傷した

詩35:15「だが、彼らは私がつまずくと喜び、相つどい、私の知らない攻撃者どもが、共に私を目ざして集まり、休みなく私を中傷した」
攻撃者どもは、つますいたダビデを見て大きく口を開き「あはは、あはは。この目で見たぞ(21)」と言ったとあります。人がつまずくと集まり、中傷するのは、よほどダビデを嫌っているか、妬んでいるかだと思います。サムエル記の中に具体的に大きな口を開けて笑われた記述はありませんが、ダビデの人生の中でこのような経験が多くあったことは垣間見えます。ダビデは多くの詩を詩編に残していますが、神に訴えるのはいつも人間関係のことです。神にこのような内容を語りかけるのは、何か弱々しい、情けないイメージがありますが、それはダビデが自分の力で問題を解決しようとしなかったからです。ダビデは王の立場を利用すれば、どのようにも問題を解決できたはずです。実際に、王の立場を使ってバテ・シェバを手に入れ(2サム11:4)、彼女の夫ウリヤを殺しました(2サム11:15)。しかし、ダビデが神に訴えるのは人の中傷や侮蔑の態度についてです。「私のわざわいを楽しんでいる者(26)」「私に向かって高ぶる者(26)」は、人の内面に関わることです。現代でもこのようなことは人生の中で何度も遭遇するものです。ダビデは、決して自分からさばこうとはせず、主にその判断をゆだねていました。この態度は3000年の時を経ても、学ぶべきものだと思います。