詩篇61篇 どうか王のいのちを延ばし

詩61:6「どうか王のいのちを延ばし、その齢を代々に至らせてください」

もし、ダビデが保身のために命を長らえようとしているのなら、この詩は詩篇に納められなかったでしょう。ダビデが命を延ばして欲しいと望むのは自分のためではなく、「私は、あなたの御名を、とこしえまでもほめ歌い、私の誓いを日ごとに果たしましょう(8)」とあるように、いつまでも主を賛美していたいからです。別の詩ではダビデは「私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける(27:4)」と歌い、主の宮で主を仰ぎ見、思いにふけることが彼の願いだということがわかります。この姿勢は、ダビデが羊飼いのころからのもので、羊の番をしながら主に賛美をささげていました。神は神の宮に住み、罪を犯すならいけにえをささげて、罪を贖わなければならず、その神のイメージは厳しく、恐いものでした。そのような環境の中で、羊飼いのダビデは神の宮でなくとも、自由に神を賛美し、羊がいる牧場で主と交わっていました。祭司の目から見たら「そんな恐れおおいことを」と感じるかもしれません。いつの日にかダビデは主を知り、主と交わることを覚え、やがて王になっても命の限り主を賛美できるように願うようになるのです。