詩篇65篇 朝と夕べの起こる所を

詩65:8「地の果て果てに住む者もあなたの数々のしるしを恐れます。あなたは、朝と夕べの起こる所を、高らかに歌うようにされます」

毎日、朝になると日が昇り、夕になると天に星々が輝くことを繰り返すのなら、あしたもまた太陽は昇り、次の日が始まるのだろうと考えてしまいます。しかし、本当にそうなのでしょうか。なぜ、地球が回る必要があるのでしょうか。太陽の周りを1年かけて1周し、ところによっては雪が降り、暑くなったりします。パウロはローマの手紙の中で「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって(ロマ1:20)」と説明し、被造物を見るときに神の創造の確かさを知ることができると言っています。ダビデもまた地球の営みを見て神を感じています。人が勝手に明日が来ると考えるのは構いませんが、何でもかんでも自然の摂理のせいにするのはいかがなものでしょうか。日が暮れて寝るときには、あしたには日が昇っているだろうとは考えないことです。イエス様は「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる(マタ5:45)」と言われ、地球の営みを経験できるのはあくまでも神の哀れみによることがわかります。それは天の父が多くの人が救われるように願っているからです。