ルカ19章 主がお入用なのです

ルカ19:31「もし、『なぜ、ほどくのか』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」

エス様がろばに乗ってエルサレムに入城することは、ゼカリヤが預言しています(ゼカ9:9)。エルサレムに行くのは年に一度の贖罪の日に、いけにえを捧げて罪を贖う祭があるからです。預言を成就させるためには、出発前からろばを見つけて用意でもしておかないと、いきなり適当な子ろばを見つけることは難しいでしょう。ろばの子の持ち主も、ろばをほどいているのを見るなら泥棒と勘違いすると思います。しかし、ここでは不思議な会話のやり取りが行なわれています。「なぜ、このろばの子をほどくのか(33)」、「主がお入り用なのです(34)」というものです。聖書には「なぜ、ほどくのか」と聞いた人は子ろばの持ち主だとあります(33)。これは推測ですが、子ろばの持ち主はあらかじめ、誰かが子ろばを引き取りに来ることを知らされていたのではないでしょうか。まるで、合言葉でもあったかのように「主がお入用なのです」という一言で、全てを悟り子ろばを持っていかせています。ルカには弟子たちの面からしか記述されていませんが、子ろばの持ち主にも神からの何らかの暗示が与えられていたと思われます。子ろばをほどくのを見て、神のときが来たと悟ったのでしょう。子ろばの持ち主も神の国を願う人だったのではないでしょうか。