ルカ18章 らくだが針の穴を通るほうが

ルカ18:25「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」

「針の穴」の「穴」の訳は「trymalia(トゥルマリア)」から訳されたもので「目」の意味があります。場所は特定されていませんが、当時は「針の穴」という狭い門があって、そこを通るには人も降りて、荷物を全て下ろして、ラクダをひざまづかせてその門を通らなければなりませんでした。本当に針の穴ならば数ミリの大きさで、ラクダは絶対に穴を通ることはできません。このたとえは、絶対にできないことを示しているのでしょうか。それども、ラクダが門をくぐったように、ひざまずき、頭を下げる様子を弟子たちに想像させるために言ったことばなのでしょうか。もし、絶対に不可能なことを指しているのなら、金持ちは絶対に神の国には入れません。イエス様の言われたように全財産を売り払い、貧しい人々に分け与えなければ神の国に入ることは叶わないのです(22)。また、狭い門を通るラクダを指しているのなら、かしずき、頭を下げるようなへり下った態度を求めているように思えます。どちらにしても、お金があることで目が曇り、神の国を求めなくなってしまうなら、お金は福音の妨げになってしまいます。イスカリオテ・ユダも金入れを預かっており、自分のためにお金を使っていました(ヨハ12:6)。神の国のために財産でも捨てる覚悟を神は求めておられます。