ルカ22章 この人もガリラヤ人だから

ルカ22:59「それから一時間ほどたつと、また別の男が、「確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから」と言い張った」

ガリラヤ人は見た目にも違っていたのでしょうか。あるいは話すことばに訛りがあったのかもしれません。その日は日も暮れ、夜になり寒かったのでしょう。大祭司の中庭で焚き火をして暖を取っていました(55)。その輪の中にペテロも紛れ込み、ことの成り行きを見守っていました。ともすれば救出でもしようかと狙っていたのかもしれません。しかし、いざイエス様の仲間だと指摘を受けたとき、思わず否定してしまったのです。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております(33)」とうそぶいてみたものの、いざ自分も捕まりそうになると保身のために嘘をつくのです。この試練はペテロには相当こたえたと思います。聖書を読む人ならペテロがいかにイエス様を慕っていたかがわかっていたからです。ペテロが泣いたのは、3回イエス様を知らないと言ったことが成就したからでしょうか。それがたとえ1回の否定であってもペテロは泣いたと思います。自分だけは、愛している主を知らないとは言わない、と確信していただけにペテロの心中は悔しいものだったに違いないと思います。ガリラヤ人だと見破られたときに、自分はイエス様の一番弟子だと名乗れればよかったのですが、恐れがペテロを支配していました。