ピリピ1章 苦しみをも賜わったのです

ピリ1:29「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです」

どの教会でも違った教えや間違った理解が増えており、パウロも頭が痛い状態です。コロサイでは「むなしい、だましごとの哲学(コロ2」8)」というような、難しい課題もあったようです。また、コリントでは「受け入れたことのない福音(2コリ11:4)」が入りこんでおり、これを打ち消すために手紙を書かなければなりませんでした。ガラテヤでも「そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません(ガラ5;8)」と違った教えがあることが垣間見えます。ピリピ教会の中では「ねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者(15)」や「党派心をもって、キリストを宣べ伝えて(17)」いる者もいたようです。パウロはこのような不純な動機であろうと正しい福音が伝われば良いと甘受するむねを書いています(18)。正しい福音はキリストが罪のために死なれたことで、すべての人の罪は赦され、キリストを信じる信仰によってその赦しを受けることができるというものです。福音を伝えるためには、多くの困難を通らなければなりません。それはキリストを信じたときから定められたものです。恵みも祝福も苦しみも、最初から神がご計画されたもので、あらかじめ準備されていたのです。