2コリント13章 神の力のゆえに生きて

2コリ13:4「確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです」

自分たちが弱いと悟るまでには相当な時間がかかるでしょう。「生きている」と「生かされている」のあいだは、大きな隔たりがあると思います。何事もうまくいくなら、自分の力を過信してしまうでしょう。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです(ピリ4:13)」とあるように、何かができるには後ろ盾が必要なのです。世の中には金銭にも不自由せず、大きな障害もなく人生を歩む人たちもいます。自分の力を過信する人たちは、人生で大きな問題に直面したことがありません。キリストを信じる者には神からの試練を受けることができ、試練の中では心が苦しい状態にありますが、脱出の道も備えられ(1コリ10:13)、それを抜けるとより成熟した大人となれます。コリント教会には罪を犯している「容赦はしません(2)」という人たちと、弱くても強くなって欲しい(9)という人とさまざまだったようです。教会をひとくくりに考えるのも難しいですが、コリント教会はまだ成長の途中で、パウロがすでに2回訪問し、注意を与えているのに3回目の訪問までまだ罪から離れられない人もいたようです(2)。そのような人たちがいる中で「喜びなさい、完全な者になりなさい、慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい(11)」と勧めています。