ガラテヤ3章 律法とは何でしょうか

ガラ3:19「では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです」

肉の欲がなければ、律法も必要なかったでしょう。アダムを造ったときに、肉を着せずにいたら、律法もなく十字架も必要なかったと思います。しかし、神がアダムを造る決心をしたとき、こうなることはわかっていたはずです。もっと言うなら、最初に「光があれ(創1:3)」とことばを発せられた瞬間に、人を完成させるためには、自分の子をささげなければならないと心に決めておられたのだと思います。地上では律法と形で残りましたが、律法がなければ十字架もあり得ません。律法を完成させるための十字架であり、十字架が律法に基づくものであることは旧約聖書にすべて書かれています。アブラハムモーセダビデ、その他の王たちのストーリーは、すべて律法を完成させるための過程のものです。律法は「肉」を浮かび上がらせるもので、肉を殺して、御霊を生かすことができれば人は栄光に輝けたはずです。歴史上、律法を全うした人はいなく、イエス・キリストだけがその栄光を持ち、輝いておられるのです。今から律法を学び、律法を完全に行なったとしても、罪は残ります。唯一、律法の完成者であるキリスト・イエスを信じることによって、罪が赦されたとみなされるのです。これは、聖書の根幹にかかわる大切な約束です。