ガラテヤ5章 わずかのパン種が

ガラ5:9「わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです」

エス様の言われたパン種はパリサイ人やサドカイ人の教えのことだったとあります(マタ16:12)。そのほかにもパン種を用いて、警戒するように戒めていることが書かれています。パウロもまたパン種を用いて説明をしています。これもまたキリストの教えとは外れているもので、おそらく、誰かがキリストを信じるようになっても割礼は受けなければならないと言ったのだと思います。それはあたかも、クリスチャンになったら十字架のペンダントをつけなければならない、といった類の目に見えるものに置き換えようとする考えです。人はいつの時代にも目に見えるものを要求し、目に見えるものなら信じるようになる傾向にあります。異言は多くの人が求め、実際に口から全く知らないことばが出てきます。しかし、こればかりを求めても肝心の「愛」がなければ、どうしようもないでしょう。パウロは愛なくして異言を語るなら、やかましいどらやうるさいシンバルと同じだと語っています(1コリ13:1)。これらのことが「パン種」になりかねないのです。もし、小さいことにこだわり続け、割礼があるないを論じ続けるなら、必ず衝突が起き、果てには分裂まで引き起こしてしまいかねません。「愛」がパウロの伝える、福音の核になるものです。