コロサイ3章 互いに赦し合いなさい

コロ3:13「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」

福音書の例え話の中に、1万タラントの借金を免除してもらった男の話があります(マタ18:23ー35)。自分が赦された後で、この男は同胞の100デナリの借金を待ってやることができず、同胞を牢に入れてしまいます。自分は1万タラントも赦されたのに、仲間の100デナリの借金は猶予できませんでした。人をさばく前に、自分が赦されたことに気づくことができれば幸いでしょう。ともすれば、自分の罪を忘れ、相手の悪い部分だけに目が留まってしまうこともあります。赦す行為は、キリストの性質を表わすものでもあります。パウロは赦すことができたなら、愛をその上に加えるように勧めています(14)。しかたなく人を赦すのでなく、愛をもってそのことができれば、よりキリストのみ丈に近づいたことにならないでしょうか。もし、そのようなことを周りの人が見るなら、赦した者の寛容さとふところの深さに驚かされるでしょう。それこそがキリストの証しであり、赦された者が神の栄光に輝くときです。パウロは神に選ばれた者として「深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容(12)」を身につけなさいと書いています。いつも怒り、不機嫌で、イライラしているなら、そういう人には近づきたくないものです。愛ある人は寛容であり親切でなければなりません(1コリ13:4)。