1テモテ1章 私はその罪人のかしらです

1テモ1:15「「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです」

テモテの年齢は聖書には書かれていませんが、パウロよりも若く後輩というよりも、師と弟子の関係だったと思われます。最初にテモテに出会ったのは、ルステラの町で、テモテはすでにキリストを信じる若者でした(使16:1)。この手紙では牧会のときにどのような監督者を選ぶべきかなどの(3:7)、具体的な教会の運営に関してのアドバイスを書いています。そのパウロが、自分は罪人のかしらだと言っているのです。日本では「若輩者ですが」などという言葉を使えば、へりくだったように見えますが、パウロの場合は嘘いつわりのない真実を述べているのです。それはパウロの性格からもわかりますが、テモテに対して本当に教会を任されたのなら、誠実な者として教会の人から認められ、リーダーとして的確な判断をしてほしいと願っていたはずです。そして、キリスト・イエスが罪人を救うために来られ、パウロ自身がその罪人のかしらだと証言しています。パウロ自身がキリストを信じる者たちを迫害し(使9:1)、牢に入れたりしていたこともありました。それでも主の寛容を知り、イエス・キリストに出会ってからは(使9:4)、180度人生が変わったことを世に示すために立ち上がったのです。テモテにはパウロが体験した主の寛容を最初に知ってもらいたかったのだと思います。