1テモテ5章 軽々しく按手をしてはいけません

1テモ5:22「また、だれにでも軽々しく按手をしてはいけません。また、他人の罪にかかわりを持ってはいけません。自分を清く保ちなさい」

手を置くしぐさは旧約の時代からあり、古くはヤコブがヨセフの子たちを祝福するときに手を交差して頭に置いた記述があります(創48:14)。新約では使徒の働きの中にいくつか手を置くことが書かれており、聖霊を受けたり(使8:17)、目が見えるようになったり(使9:17)、また使徒を送り出すときにも按手が使われています(使13:2-3)。手を頭に置くことは神の霊に委ねることで、ときには奇跡が起きたり、癒されたりしています。按手の記述は旧新約合わせても13-15の記述しかなく、具体的にどういうときに使うかは教会によって意見が分かれます。しかし、確実なことはパウロはテモテに対して軽々しく按手はしてはならないと書き送っており、按手が何の根拠もなく誰もが行なうことに懸念を示しています。カトリックでは聖職者を任命するときなどに使われています。プロテスタントでは洗礼式のときなどに按手しますが、教会によってはしないこともあります。按手が人の手を通して神の権威が移譲するものだとするなら、手を置く前に十分に吟味する必要があるでしょう。実際に傷や病気が癒やされたりする例はあり、それゆえにパウロが簡単に按手する危険性を危惧していたのかもしれません。