2テモテ2章 彼とともに死んだのなら

2テモ2:11「次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる」

十字架は単なる身代わりでなく、キリストとともに生きるためのものです。罪が無くなったのは幸運なことですが、それを享受するには神のもとに帰らなければなりません。汚れた人が、聖なる神に出会うには罪があってはできません。ただ、「キリストを信じる信仰によって大胆に確信を持って神に近づくことができるのです(エペ3:12)」とあるように、十字架にかかられたキリストを信じることによって、神と出会うことができます。それでも人には肉があり、常に罪と戦っています。しかし、義なるキリストが御父の前で弁護してくださいます(1ヨハ2:1)と書かれているように、イエス様はいつも寄り添ってくださり父なる神の前で弁明してくださいます。それもこれもキリストを信じる信仰のゆえです。もし、イエス・キリストを知らず、天の父の神も聖霊にも出会わずに死んでいくなら、どうやって自分の罪を贖うのでしょうか。人生の中で神との接点なくして、十字架の贖いを受けることは不可能です。人は神を知り、罪を悔い改め、キリストを信じる信仰によって、はじめて神の子とみなされるのです。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです(ロマ10:10)」と書かれているとおりです。