2テモテ3章 敬虔に生きようと願う者は

2テモ3:12「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」

敬虔な態度は人に過ちを認めさせ、へりくだりを思い出させるものです。パウロは終わりの時代の話をしています(1)。もちろん今でも大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者はいるでしょう(2)。しかし、そのときには今以上に、自分を愛したり、金を愛したりする者が増えるとあります(2)。そうするとそのような人たちには、キリスト・イエスの敬虔さはうっとおしく感じるのでしょう。キリストを信じる人たちが誠実であればあるほど迫害を受けるようになるとパウロは書いています。テモテはパウロに同行して、いかにパウロが多くの困難にあったかを知っています。そのパウロからの教えの中に「肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です(1テモ4:8)」というものがあり、敬虔を非常に強調しています。パウロはテモテに「敬虔」を特に教えたかったようで、最初のテモテへの手紙の中には9回も「敬虔」ということばが繰り返されています(1テモテ1:9、2:2、3:16、4:7、4:8、6:3、6:5、6:6、6:11)。キリストを信じれば信じるほどキリストのみ丈に近づき、より厚みのある人格に成長できるとは裏腹に、自分の利益ばかりを考えている人には邪魔な存在になっていくのだと思います。