2テモテ4章 義の栄冠が私のために

2テモ4:8「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです」

あたかもパウロの遺言書のような手紙ですが、テモテ第2の手紙はAD66-67年ごろに書かれたとされ、パウロの書簡の中では最後に書かれたものです。パウロの年表ではテモテの2通の手紙の間にピレモンへの手紙があり、2テモテが最後の手紙となりました。歴史ではAD67年にパウロの死刑が行なわれ殉教したことになっているので、早くテモテに会いたいと書かれているのは死刑が確定していたからだと思われます。パウロは「勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました(7)」とあるように、自分の人生に何の悔いも残していません。そればかりでなく義の栄冠が神によって授けられることを確信しています(8)。キリストを信じて自分が死ぬ段階になって、どれだけの人がこのように言えるでしょうか。すべてを神に捧げ、神のために働いたパウロだから言えたことだと思います。アレキサンデルは最後までパウロには従いませんでした(14)。最初の手紙では「サタンに引き渡した(1テモ1:20)」とさえ書いていますが、パウロは最後までアレキサンデルをさばかず、主の判断にゆだねたのです(14)。この判断はダビデに通じるものがあり、神を信じる者はさばきを神にゆだねる信仰が必要だと改めて感じさせられました。