詩篇112篇 自分のことを公正に取り行なう

詩112:5「しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行なう人は」

自分を客観的に見れる人は、自分に対して厳しく、神に対しても正しい態度を取れるのだと思います。ここでは「直ぐな人(2)」という表現を使っていますが、その人は祝福を受け、主からあわれみを受けることができます(4)。正しいだけでなく人に惜しみなく与えることも(9)主が高く上げてくださる条件の一つです。イエス様はご自分の命を、すべての人が受けるべき罪の代償として差し出されました。どんなに親しい間柄でも「自分のために死んでくれ」と言われて、直ぐに引き受ける人は少ないでしょう。しかも、イエス様ご自身は罪を犯していないのです。自分の罪は棚に上げ、誰かをさばくようでは、その態度は主に喜ばれません。自分を客観的に見て、どれだけ罪深く、本来なら救われるべき存在でないことを知ることができるなら、キリストの十字架の意味をもっと深く理解できるでしょう。「自分のことを公正に取り行なう人」というのは、自分がイエス様の犠牲の上に生かされているということを知っている人です。「私は赦された。もう罪はない」という人は、勘違いしている人です。誘惑は肉体がある限り収まらず、いつも神を求めて神とともに歩む姿勢が必要なのです。ダビデの生きるようすは、いつも悩み神に相談しているものです。神とともに歩むことが大切なのです。