詩篇115篇 彼らの神はいったいどこにいるのか

詩115:2「なぜ、国々は言うのか。「彼らの神は、いったいどこにいるのか」と」

イスラエルには十戒があり、その中で偶像を作ることを固く禁じられています(出20:4)。これはほかの宗教と大きく違っているところで、近隣諸国の信じる対象はかならず偶像が伴っていました。士師記の中でギデオンは主からバアルの祭壇とアシェラ像を切り倒せと命じられたことがありました(士6:25)。また、サムソンはダゴンを祭っている神殿の柱を倒し、ペリシテ人を殺しています(士16:25-26)。他国の神には必ずと言っていいほど偶像があり、その偶像が拝む対象となっていました。神を知らない人でも拝む対象があれば、これに向かって拝めばいいのだなとわかりやすいでしょう。しかし、イスラエルの民は偶像を作ることを禁じられているので、他諸国の人は「あなたの神はどこにいるのか」と首を傾げてしまいます。人はそれほど目に見えるものに頼り、もし目に見える対象があれば安心するのです。しかし、人の作った神は(4)、しゃべれず、見えず、聞こえず、においもわからないのです(5-6)。また、何か不自由があるかのように人に仕えられる必要もありません(使17:25)。神ご自身は目に見えませんが、宇宙、地球、人と被造物を見ることによってはっきりと神の存在は知れ渡っているのです(ロマ1:20)。