詩篇119篇 金よりも、純金よりも

詩119:127「それゆえ、私は、金よりも、純金よりも、あなたの仰せを愛します」

ダビデは主の教えとさばきは金や純金よりも好ましく、蜂の巣からしたたり落ちる蜜よりも甘いと歌っています(詩19:10)。金や純金は、荒野にいるころから大切なものとされていました。神に仕えるための用具はすべて純金でできていました。契約の箱(出25:1)、皿、びん、ひしゃく、水差し(出25:29)、燭台(出25:3)などはすべて純金で作るように指示されています。荒野では金を手に入れることが難しいですが、イスラエルの民がエジプトを出るときに、主がエジプトにイスラエルの民に好意を持つようにされたので、多くの着物、金銀の装飾物を得ることができました(出12:35-36)。それは耳輪だけで金の子牛ができるほどたくさんあり(出32:3-4)、主に感動したものはみな金でできた飾り輪、耳輪、指輪、首飾りを男女問わず持ち寄り、主に捧げたと書かれています(出35:22)。本来ならば荒野にない金が主の知恵によって、エジプトから集められ、主の天幕を作るときに役立っていたのです。そのように希少な金はダビデの時代でも、身分の低い者や平民などが保つことができず、高嶺の花となっていたようです。それゆえにこの詩篇の歌い手は、主からのことばをとても大切に思い、金よりも純金よりも神からのことばを大切に思っていたのです。