1サムエル15章 聞き従うことはいけにえにまさり

1サム15:22「するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」

いけにえは自分の罪の代わりになるものです。もちろん全焼のいけにえが悪いわけではありません。祭壇を作らせ、いけにえを捧げるように言われたのはほかならぬ主ご自身だったからです(出20:24)。カインのように同じ捧げものでも最上のものを惜しみ、少し劣ったものを捧げるのなら主は喜ばれないでしょう(創4:4)。しかし、ここで主ははっきりと聞き従うことは、いけにえにまさっていると言われています。どんなにいけにえを捧げても、実生活で神を恐れていないのなら主は目を留められないと思います。献金を多く捧げたから、自分の罪はもっと赦されているのだという考え方は根本が間違っています。そんなことよりも主の御声に聞き従ってくれる人を重んじるのが主のご性質です。そういう意味においては、ダビデは主の御心にかなっていたと言えるでしょう。それは羊の番をしているころから、主と交わり、立琴で主を讃美していたダビデのことを主がご存じだったからです。羊を放している草原には、幕屋もなく聖所も至聖所もなく、ダビデ自身はレビ族の出身でもなくただの羊飼いです。それでもダビデは主を思い、主に語りかけ、賛美を捧げていたのです。詩篇で多くの詩を残しているダビデは、若い頃からそのような生活をしていたのだと思います。