詩篇131篇 私の心は誇らず

詩131:1「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません」

いくら口で私の心は誇らず、私の目は高ぶりません、と言ったとしても、思わぬところで怒ってしまったりします。こんなところにも自分のプライドがある、と感じるとき、ダビデの「心は誇らず」ということばを思い出します。怒るということはどこかで見下ししているからです。自分が人より優っていると思っている限り、誰かを自分より下に見たりするものです。知識があり、誰よりも賢いとしても、愚かな判断をしてしまいます。それは誰にも止められないことで、そういう失敗を糧にして人は大人になっていきます。神を信じる者は、主からの試練を通して学び、ちょうど必要な絶妙のタイミングで人の心を取り扱ってくれます。ダビデのように主の前で傾ぎづき、頭を垂れて主に語りかける様子は、聖書を読む者の手本となってくれます。「今よりとこしえまで主を待て(3)」はダビデの悟りです。たとえ自分のタイミングと神のタイミングがずれたとしても、主を待ち続けることが必要です。心を静め、怒りや嫉妬で心を騒がせたりせず、すべてを主にゆだねたダビデのように、揺るぎない信仰で人生を過ごせたらと思います。