詩篇143篇 御名のゆえに、私を生かし

詩143:11「主よ。あなたの御名のゆえに、私を生かし、あなたの義によって、私のたましいを苦しみから連れ出してください」

自分が何かを判断したり、行動したりするのではなく、すべて神の名と義のもとにゆだねることをダビデは歌っています。自分が生きているのは、「生かされている」からだということをダビデは理解していました。目の前のいろいろな問題を自分で解決したとしても、自分で生きたことにはなりません。なぜなら自分のいのちをコントロールすることは人にはできないからです。どんなに医学が発達して人が長く生きながらえるようになったとしても、120年を越えて生きることはできません(創6:3)。どんな難病でも助かる人は助かり、いのちを落とす人はいます。それは人の努力ではどうすることもできないもので、神を信じるとか信じないに関わらず、神がその人が生まれる前からご計画されていたことです。ただ、ダビデの言うように主の名によって生かされ、主の義によってたましいが苦しみの中から救われるのなら主の名をほめたたえましょう。ダビデは相当に苦しい状況にあるようで、霊は衰え、こわばったと書かれています(4)。ダビデは決してあらがったり、無理をして自分の状況を変えようとはしていません。神に祈り、神の御心を待つだけです。神を信じる者の姿はダビデに学びたいと思います。