2サム3:37「それで民はみな、すなわち、全イスラエルは、その日、ネルの子アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った」
ダビデの血縁、交友関係は聖書に書かれていますが、ダビデは元来人を恨んだり、呪ったりする性格ではなかったようです。自分の主君サウルが亡くなったときも、その死を知らせる者には「油そそがれた方に手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか(1:14)」と、その男をその場で打ち殺しています(1:15)。また、サウルの将軍アブネルが死んだときも非常に悲しみ、民はアブネルを殺したのはダビデの意向ではないと気づいたのです(37)。さらにアムノンが妹マアカを恥ずかしめ、アブシャロムに殺されたときもアムノンの死をいつまでも嘆き悲しんでいました(13:37)。そのアブシャロムがクーデターを起こし、ダビデが逃げる羽目になり、サウル王のときのように追いかけられたときでも、アブシャロムが死んだときには「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ(18:33)」と悲しんでいます。自分と敵対しようが、油そそがれた者、その身内、また自分の身内と立場を尊重し、彼らに直接手を下そうとしないダビデは、あくまでも主のさばきにゆだねるという信仰があったからだと思います。