エレ1:16「しかし、わたしは、彼らのすべての悪にさばきを下す。彼らはわたしを捨てて、ほかの神々にいけにえをささげ、自分の手で造った物を拝んだからだ」
ヨシア王はヒゼキヤに次ぐ善王として数えられています。彼は国内にあるあらゆる偶像を壊し、高き所を取り除いています(2王23:1-20)。聖書には「ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった(2王23:25)」と最大の賛辞が書かれています。しかし、エジプトのパロ・ネコがアッシリアのほうへ行こうとしたとき、パロ・ネコを迎え打とうと出陣したときヨシヤは殺されてしまいます(2王23:29)。もし、ヨシヤがもう少し長く生きてユダの国民に偶像を完全に捨てるような政策を打っていれば、ユダは捕囚にあわずもう少し長らえていたかもしれません。エレミヤが善王ヨシヤのときに主から預言をするように言われたのは、ヨシヤ王のいのちが長くないのを知り、ユダ国がふたたび自分たちで造った偶像を拝み始めるのを知っていたからではないでしょうか。案の定、ヨシヤの次の王エホアハズのときには、国民は主の目の前で悪を行ったとあります(2王23:32)。わずかな時間のあいだでも、イスラエルのまことの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神を拝もうとしない彼らの頑固さに、エレミヤは主のことばを語らなければならないのです。