エレミヤ5章 どうしてわたしがあなたを赦せよう

エレ5:7「これでは、どうして、わたしがあなたを赦せよう。あなたの子らはわたしを捨て、神でないものによって誓っていた。わたしが彼らを満ち足らせたときも、彼らは姦通をし、遊女の家で身を傷つけた」
ここでは「その背信がはなはだしかったからだ(6)」と書かれ、ユダの国全体が主を裏切っていたことがわかります。「このような国に、わたしが復讐しないだろうか(9)」は、契約を反故にされた主の怒りが頂点い達していることばです。ソドムとゴモラのときでも「滅ぼすまい。その十人のために(創18:32)」と言われ、ノアの洪水の時には助かったのは全世界でたった8人だけでした。これらのことを見ると、神の限界点は救うべき者が一桁になったとき、超えてしまうのではないでしょうか。本来なら、神の与えた律法を守り、主だけを拝み、拠り頼んでいればこのようなことにはならなかったはずです。聖書にはどれだけの人数が裏切ったのかは書かれていませんが、「イスラエルの家とユダの家とは、大いにわたしを裏切ったからだ(11)」という前には、イスラエルではヤロブアムからホセアまで19世代、ユダではレハブアムからゼデキヤまで20世代の時間が経過しています。つまり、ともに200年以上の主の忍耐が続いていたことになります。民が主から心が離れていくたびに、主の臨在は少なくなり、みことばもみわざも民には示されなかったのだと思います。偶像がない状態では、神の声を聞いたり、奇跡を見たりしないと信仰は薄れていきます。