エレミヤ17章 アシェラ像を覚えているほどだ

エレ17:2「彼らの子たちまで、その祭壇や、高い丘の茂った木のほとりにあるアシェラ像を覚えているほどだ」
プロテスタントカトリックでは十戒の内容が違っています。カトリックでは「偶像崇拝」と「安息日」が削られています。十戒が書かれているのは出エジプト記20章と申命記5章です。そのどちらにも偶像を禁じることばが書かれています。「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない(出20:4)」、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない(申5:8)」と神が偶像を嫌っているのは明らかです。にもかかわらず、歴代のユダ王たちは偶像を捨てようとはしませんでした。その中でもヒゼキヤとヨシヤ王だけは、主の御心を理解して国中から偶像を捨てています(2歴33:15、2王18:4)。現代ではカトリックの教会に行くならば、イエス・キリストの像、マリヤの像、ペテロやヤコブの像などそこら中、像だらけです。彼らはイエス・キリストの像だから許されると思っているのかもしれませんが、聖書を読む限り、神の偶像嫌いはたとえイエス・キリストの像であっても容認されそうにありません。また、AD325年にはニケーヤ公会議で太陽の日である日曜日を復活祭として正式に主の日と定められました。また、クリスマスの制定もこの頃です。偶像は作り放題、安息日は捻じ曲げられ、これではエレミヤが生きていた時代と変わりないではないですか。本当にこれらのことを続けて、主は黙っておられるのでしょうか。