エレミヤ18章 行ないとわざとを改めよ

エレ18:11「さあ、今、ユダの人とエルサレムの住民に言え。『主はこう仰せられる。見よ。わたしはあなたがたに対してわざわいを考え、あなたがたを攻める計画を立てている。さあ、おのおの悪の道から立ち返り、あなたがたの行ないとわざとを改めよ』」
神がこのようにチャンスを与えているのにもかかわらず、ユダの民は「だめだ。私たちは自分の計画に従い、おのおの悪いかたくなな心のままに行なうのだから(12)」と言っています。それどころかこのように悔い改める機会をもたらしたエレミヤを殺そうとさえしています(22)。ある程度馴れてしまった生活を変えることは難しいものです。世の中には引越しするのが好きな人もいますが、やはり慣れ親しんだ家を変わることを嫌がる人もいます。神から今までの人生は間違っているから、私の戒めのとおりに生きなさい、と言われても急には方向転換などできないと思います。しかも、今まで自分の判断である程度うまくいっていたのなら無理に別の道を歩む必要もないでしょう。それが神の道から離れているとわかっていても、自分の計画とおりに生きたいのです。それほど神の戒めは彼らにとって遠いものになってしまい、ほかの神の方が魅力的に写っていたのでしょう。人から注意をされても、それを聞く耳を持つ人とそうでない人がいます。ユダの民の心はかたくなで、エレミヤがどんなにユダにさばきが下ると諭しても、聞く耳を持ちません。ユダの民は頑固で自分の主張を曲げない人の象徴だとおもいます。