エレミヤ30章 男が子を産めるか

エレ30:6「男が子を産めるか、さあ、尋ねてみよ。わたしが見るのに、なぜ、男がみな、産婦のように腰に手を当てているのか。なぜ、みなの顔が青く変わっているのか」
世界には性同一性障害という体の障害があります。このような人たちは、ホルモンの状態で男性とも女性とも認識される場合があります。もし仮に女性器の大半が残っており、子宮、卵巣などが機能するなら男性として成長しても子供を産める可能性があります。また、トランスジェンダーの人で女性から男性の容姿に変わり、男性として生活している人でも女性器がそのまま残っているなら子どもを産むことは可能です。こちらの場合はいくつかの事例が世界から報告されています。神の造られた人の構造は男性、女性と別になっています。どんなに男女平等を訴えられても、変えられないものもあります。確かに男性は横暴で歴史の中で力のない女性は辛い思いをしたことは確かです。サウジアラビアでは女性は容姿をさらしてはいけなく、車を運転することもできません。こういう面での男女平等化は進めるべきなのでしょう。しかし、体の構造までを無視して何でもかんでも男と女を同じ位置にもっていくのもいかがなものでしょうか。預言の中では男が腰に手を当て、本来あるはずのない陣痛のような苦しみを受けていることが書かれています。主の言われることは今は苦しみの日であっても、やがて救いの日は来るということです。神のことばを信じるなら、未来にある救いを見て耐えるべきでしょう。