エレミヤ43章 死に定められた者を

エレ43:11「彼は来てエジプトの国を打ち、死に定められた者を死に渡し、とりこに定められた者をとりこにし、剣に定められた者を剣に渡す」

カルバンの唱えた「予定説」では、世の初めから救われる者はあらかじめ定められており、その逆の救われない者もすでに神によって確定している、というものでした。予定説に対して異論も多くあるでしょうが、バビロン捕囚を嫌がり、エジプトに逃げた者たちはあらかじめ定められた神の意思によって死んだり、捕えられたり、剣で打たれたりしました。もし、ユダヤ人がエジプトに逃げなければ、エジプトの神殿も無事だったのかもしれません。しかもエジプトに下っていった群衆の中にはエレミヤも含まれていました。彼はエジプトに下るなと預言した張本人でしたが(42:12-17)、アザルヤとヨハナン、そして高ぶった者たちはエレミヤの預言が間違っていると決めつけ、自分たちが思い描いたシナリオとおりになり、自分たちは救われると考えたのです。目の前によくできた自分の利益になるであろう話があったとき、人はどうしても利益にばかり目が行ってしまい中立な判断ができなくなってしまいます。いのちは助かりたい、バビロンに連行されるのは嫌だ、ではどうしようもありません。エレミヤはバビロンに捕えられ、連れられたとしてもバビロンの地で「生きよ」と命じられておられるのです(27:17)。