エレミヤ44章 どちらのことばが成就するかを知る

エレ44:28「剣をのがれる少数の者だけが、エジプトの国からユダの国に帰る。こうして、エジプトの国に来て寄留しているユダの残りの者たちはみな、わたしのと彼らのと、どちらのことばが成就するかを知る」

「どちらのことば」と言われても、聖書を読む者にとっては結果は明らかですが、当の本人たちはエレミヤのことばに反抗して天の女王にささげ物をするつもりです(17)。その理由として「私たちはその時、パンに飽き足り、しあわせでわざわいに会わなかったから(17)」と言っています。確かに神に従って生きるときに、災難や事故が起きることがあります。神が祝福を約束したからと言って、人が望むものばかりを与えてくださるわけではありません。ときには試練もあるでしょう。主は人をおとなになるように導いておられます(エペ4:13)。異教の神にささげ物をしてしあわせでいられたとしてもそれは一時のことです。ちょっといいことがあったからといって主を見捨てるのはいかがなものでしょうか。ヤコブの言うように試練をこの上もない喜びと感じられればよいですが(ヤコ1:2)、人はどうしても目の前で起きたことに心が奪われてしまいます。しかし、バビロン捕囚は待ったなしです。もう主は十分に忍耐されました。いま、エジプトにいる者はエジプトの神を捨ててユダに帰るように促されています。そして、エレミヤのことばに従った者たちだけが、どちらが本当のことかを知るのです。