エレミヤ45章 私は嘆きで疲れ果て

エレ45:3「あなたは言った。『ああ、哀れなこの私。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、いこいもない』」

エレミヤにつき従うと確かに疲れると思います。エレミヤが庭に監禁されているときも(32:2)、エジプトに連れて行かれるときも(43:6)、泥の井戸に沈められたときも(38:6)、ずっとエレミヤに付き添っていたのだと思います。それはエレミヤの口述によって書物におこしていることが書かれているからで、後述を書き留めるにはエレミヤの側にいなければならないからです。そしてエホヤキム4年(1)はバビロンがエジプトを打ち破った年であり、エジプトに下ったユダヤ人は剣で倒れています。主があらかじめ言われていたとはいえ、そのような同胞の死を見て、心が萎えることはうなずけます。さすがに主に向かって嘆きごとを言ったわけではありませんが、主はバルクが疲れ、悲しんでいることを知っておられました。そして、バルクを慰めるようにエレミヤを通してことばをかけ、バルクが行くどんな所でも、バルクの命は守られることを保証してくださっています(5)。創造主なる神が自分の創造したものをどのように扱おうが自由ですが、神は十二分に忍耐されました。陶器が陶器師に向かって「あなたは私を造らなかった」ということはできないのです(イザ29:16)。