エゼキエル3章 ことばを聞いてもわからない

エゼ3:6「あなたを、そのことばを聞いてもわからないようなむずかしい外国語を話す多くの国々の民に、遣わすのではない。もし、これらの民にあなたを遣わすなら、彼らはあなたの言うことを聞くであろう」

「これらの民」というのは、ことばを聞いても理解できない外国語を話す民のことです。主はそのような聞いてもわからない外国人のほうがまだエゼキエルの言うことを聞くだろう、と言われています。それほどイスラエルの民の心はかたくなで、融通がきかないのです。この話はヨナの物語りとよく似ています。ヨナもまたアッシリアの首都ニネベに遣わされ、まもなく主のさばきが始まることを告げました(ヨナ3:4)。ヨナもまたヘブル語ではなく、アラム語でニネベの滅びを宣告しなければならず、苦労したと思います(2王18:26)。それでもニネベの人はヨナのことばを聞き、悔い改め、断食し、主の前にかしずきました(ヨナ3:5)。エゼキエルの場合はイスラエルの民と同じぐらいに額を固くすると言われ、エゼキエル自身も同じように固くて強い意志を持つように言われ、彼らの顔にひるむな(9)、と勇気づけられています。エゼキエルは捕囚の民の前に立つ前に巻き物を食べています。それは蜜のように甘かったと書かれています(3)。それはしっかりと御言葉を学び心の中で消化したという意味もあるでしょう。捕囚にあった民は、主に裏切られたと考える者もいたでしょう。そのような人に主のことばを伝えるのは簡単なことではありません。