エゼキエル24章 これに土をかぶせなかった

エゼ24:8「わたしは、憤りをつのらせ、復讐するため、その血を裸岩の上に流させて、これに土をかぶせなかった」

黙示録の中で鳥の大宴会のようすが書かれています。それは御使いが鳥に命じて、多くの死んだ人の肉を食べるようになることで(黙19:17)、終わりのときには人が遺体を葬ることさえで出来なくなることの暗示です。エゼキエルによるならば人が死んでも土をかぶせないことは葬らないことで、これは神の復讐だとあります(8)。バビロンが攻めてくるときも、城内に残った者たちにはもはや遺体を葬る余裕もなくただ逃げ惑うばかりです。ソドムとゴモラが滅びたときも、硫黄の火が降ってきて、たとえ逃げたとしても熱さのゆえに生き延びることはできなかったでしょう(創19:24)。神のさばきがはじまるなら、余裕は一切ありません。それは一度神が決められたなら、迷わずさばきを下されるからです。人が人の死を悼む余裕などないのです。それゆえにエゼキエルは自分の妻が死んでも嘆かず、涙を流しませんでした(15)。おそらくこれが最後の神の予告で、エゼキエルの姿を見てもなお、ほかの神を拝み続け、神以外に助けを求めようとするなら、神のさばきは容赦無くユダの国を襲います。エゼキエルが託された神のことばはそれほど重く、預言者であることは想像もつかない試練の連続なのです。