エゼキエル25章 異邦の民と変わらない

エゼ25:8「神である主はこう仰せられる。モアブとセイルは、『見よ、ユダの家は異邦の民と変わらない』と言った」

クリスチャンも世に対して証しして、世の光となるべきなのですが、「あの人たちは普通の我々と変わらない」と言われるなら、少し考え直さなければいけないかもしれません。それはイエス様が言われた「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい(マタ5:16)」という戒めから離れているからです。これは神のことばを守り、実行すべき戒めの中のひとつです。異教の神は拝まないにしても、遊び好きで、酒飲みですぐに誘惑に負けてしまう態度はまさに「見よ、ユダの家は異邦の民と変わらない(8)」ということばに匹敵するものです。寛容で親切、妬むことなく、自慢したり高慢にならず、礼儀に反せず、自分の利益を求めず、怒らないで、不正を喜ばず、正義を喜ぶ人になるならば(1コリ13:4-6)、その人は輝くことができるでしょう。それがイエス様の言われた最も大切な戒めである「主を愛せよ」と「隣人を愛せよ」を実行するための条件です。律法の時代が終わったのではなく、この2つの戒めが律法全体と預言にかかっているのです(マタ22:39-40)。あるいはこの2つの戒めが律法を支えていると言ったほうが良いかもしれません。