箴言8章 水のみなぎる源もなかったとき

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箴8:24「深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、わたしはすでに生まれていた」

創世記の最初には地にはまだ何もなく、やみが大水の上にあって、神の霊が水の上を動いていた(創1:2)とあります。神の霊が水の上を動いていたのは、水がすでにあったからです。英語では「there were no springs abounding with water」となり、「水のあふれる泉はない」という意味になります。「わたし」は「知恵」のことであり(12)、知恵はイエス・キリストを指します(ヨハ1;1)。神の霊が水の上を歩く前に、その水よりも先に生まれていたのは誰でしょう。三段論法により、これはイエス様を指していることがわかります。この知恵には「富と誉れとはわたしとともにあり、尊い宝物と義もわたしとともにある(18)」とあり、もともと富は知恵ある人のものでした。2019年のダボス会議報告によれは、世界人口の半分と同額の資産を持つ人が26人だと言われています。貧富の差が拡大し、貧しい人はより貧しく暮らすようになっています。しかし、聖書によればもともとの富の所有は知恵ある人であり、それはイエス・キリスト、つまり神に帰属するものです。富を独占する人たちは、やがて自分たちが作ったものだけを買わせるように、人々に印をつけるようになるのでしょうか(レビ13:17)。