聖霊によって祈る

エペソ6:18「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」
どんなときにも御霊によって祈りなさい、と書かれています。祈りが自分中心の利己的なお願いにならないようにするには、これが一番です。ここの節だけを見るなら、祈りと願いは別のものだとわかります。祈りが願いごとにならないためにはどうすればいいのでしょう?御心を知ることだと思います。御心はどうすればわかるでしょうか?御心はすべて聖書に書かれています。聖書が御心なのです。主の御心を知るには、聖書をむさぼるように読み、力の限りを尽くして探し求める必要があります。それでも「わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い(イザ55:9)」と言われてしまうのです。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです(2歴16:9)」…心を一つにするには、御霊によって祈ることです。