自分の祭壇

イザヤ17:8「自分の手で造った祭壇に目を向けず、自分の指で造ったもの、アシェラ像や香の台を見もしない」
モアブの次はその北にあるアラムに対する宣告です。アラムは現在のシリアで、ダマスコは現在はダマスカスと呼ばれています。ユダ王アハズの時代にアラムのバアル神を真似て、祭壇を作り、捧げものをするように祭司ウリヤに命じています(2王16章)。アハズの次の王ヒゼキヤのときにバビロン捕囚にあっていますから、この裏切りは側近の出来事です。しかしもはや自分で勝手に作った祭壇、偶像を見もしないと言っているのです。神の定めたやり方は、時には人にとって厄介なものです。しかし面倒くさいからといって、自分のやり方を神に押し付け「私は神に対して捧げものをした」と言うなら、どこかが間違っています。自分で作った祭壇は血なまぐさく、自分の子を捧げるような、間違ったいけにえを伴います。神との和解を拒み、自分の生き方を選択するならアハズのようになってしまうでしょう。それは礼拝しているふりをして、神を冒涜することと同じなのです。