村に返した人

マコ8:25「それから、イエスはもう一度彼の両眼に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった」
エス様のいやしにはすぐにいやされる時と、段階を追って徐々に直る場合と2つのパターンがあるようです。神様なんだから、一瞬に何でもできるでしょう…と思い勝ちですが、自然のルールを決めたのも神ご自身です。モーセが紅海を2つに分けた時も、一晩かかったと書かれています(出14:21)。逆にイエス様の時代に会堂管理者の娘が死から起き上がる時は「ただちに」と書かれ(ルカ8:55)、らい病人をいやした時は「すぐに」と書かれています(マタ8:3)。ものごとには「時」あり(伝道3:1)、全ての人にそれぞれ決められたタイミングがあるのです。救われた経験を思い出すなら、各自違った環境、違った時間に救われたことがわかります。イエス様は心の中を覗かれ、信仰のある人には神の栄光が直ちに反映されたようです。この目の見えない人はどうだったのでしょうか?イエス様はこの人を村に入らないようにしました。つまり信仰によって神の栄光…というより、いやしの業だけだったのかもしれません。