名前の不思議

士師13:21「―主の使いは再びマノアとその妻に現われなかった。―そのとき、マノアは、この方が主の使いであったのを知った」
よくわからないのは、マノアと語っているのが、主ご自身なのか、主の使いかということです。主の使いだと理解しているのに「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう(22)」 と言っています。名前を聞いたのは主ご自身?主の使い?…。「不思議」という名のヘブライ語は「パーラー」です。本文に忠実に訳すなら「わたしの名はあなたの理解を超えている」という感じになります。そうすると、名乗ったというより悟したニュアンスが強いと思います。ヤコブも主の名前を聞いたことがあります(創32:29)が、答えはありませんでした。被創造物が創造主の名前を知りたがるのは自然なことだと思います。感謝を捧げるとき、褒めたたえるとき、名前がなければ不便です。旧約では、主の名前をみだりに唱えることは禁じられていましたが、今はそうではありません。命をかけて、人を罪をお許しになり、罪から開放した「イエス」様の名前はもう隠す必要がないのです。旧約は計画途中です。今は「完了した(ヨハ19:30)」と言われた主の言葉によって、自由にその名前をほめたたえることができるのです。