和解の原理

ロマ5:10「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです」
和解は聖書の根本を成す、基本的原理です。人は罪を犯して、神から離れました。離れた状態を罪と呼び、罪の状態を回復するには離れていない状態に戻す必要があります。これが和解です。けんかをしても和解してお互いを許し認め合うなら、平和がその人たちの間におとずれ、神の御心にかなうようになります。ここでの和解は、人と人ではありません。神と人なのです。これが少し厄介です。私たちは神を許すのでしょうか?一方的に罪を犯しておいて、和解の段になったら「私はあなたを許します」では不公平です。人間は神にとって敵になってしまいました。けんか両成敗とは、どんなに一方的であっても、双方に何かしらの落ち度があるかも知れない、という観点から、片方だけを厳罰に処しないという考え方です。神が罰せられるべきことを何かしたのでしょうか?神の和解は100対0で、人間に分がないのを承知の上で、命という代償を払ってまでしようとする恵みです。