エリの息子たち

1サム2:26「人がもし、ほかの人に対して罪を犯すと、神がその仲裁をしてくださる。だが、人が主に対して罪を犯したら、だれが、その者のために仲裁に立とうか』しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが主のみこころであったからである」
みこころにもいろいろあるようで、エリの息子たちを殺すことが主のみこころだと書かれています。祭司の息子だということで何でも許されるわけではありません。彼らは自分の身分を勘違いしていました。エリは息子たちに、神と人との間に誰が仲裁に立ってくれるのか…と言っています。あたかもイエス様の十字架のとりなしを予言しているかのようです。事実、この時代には罪を犯したものたちは、いけにえを捧げ、悔い改めて主が怒らないように許しを乞いました。それでも、石打にあい殺されることもあったのです。悔い改めない人はサタンの性質を受け継いでいると思います。エリの息子たちも、父の助言を聞こうともしませんでした。神はすべての人が救われるように願っていますが、すべての人が悔い改めるわけではありません。とりなしのないサムエルの時代には、殺されることも神のみこころだったのかも知れません。祭司の息子たちは、神の教えを知らなかったわけではありません。神の教えを知りながら、罪の道に歩むならば、彼らの受けるべき報いは大きな災いになることでしょう。クリスチャンが罪を犯すほうが、未信者のときより重いのです。