戦闘能力の高いダビデ

2サム2:31「ダビデの家来たちは、アブネルの部下であるベニヤミン人のうち三百六十人を打ち殺していた」
ヨアブはダビデの甥です。ヨアブの母はダビデのお姉さんツェルヤで、3人兄弟でした(1歴2:15.16)。当時は戦略よりも戦闘能力が問われていた時代で、互いに代表者を送り戦わせるという方法が一般的でした。ペリシテのゴリアテもそのような名のある勇者で、彼も一騎打ちをしようと毎日戦場に現れていたのです(1サム17:8-9)。日本の鎌倉時代にもこのような戦い方があったことはよく知られており、はるか地球の裏側のしきたりが日本に伝わっていたことには驚かされます。ここでは代表者12人を戦わせるというものでしたが、記述によるとこの戦いは相打ちになったため(16)、全軍あげての総力戦に移ったのだと思います。ダビデ軍圧倒的有利でしたが、アブネルの停戦の呼びかけにヨアブは応じます(26)。戦死者を確認すると、ダビデ軍20名に対し、サウル軍360名の圧倒的勝利でした。ヨアブは自分の兄弟を殺されているにも関わらず、休戦に応じました。ヨアブは必ず復讐のチャンスはあると信じていたのでした。